「遊ばざるもの食うべからず」
朝から晩まで楽しく遊び、世界を自由に飛び回る人に、きみはなるのだろうか。
いつ君は排他性、島国根性、エゴイズムのカラをなげすて、スックと、立ち上がり、日に日に朝から晩までジャンプするのだ
と書いてあります。
物心ついた頃から、よく「働かざるもの食うべからず」とは言われておりましたが、これまたびっくりな一節です。
でも、桜沢先生がおっしゃっている言葉を別な視点から見直すと、
実は、遊ぶことがお仕事なのかも知れません(^^)
先生の言っている「遊び」が「お仕事」だとすると、
自分がワクワクすること、心底楽しいと思うこと、それを全うしなさい。
それが食べる=生きるということだ、とうたっているようにも思います。
そう考えると、無意識にやってしまっている自分の遊びを全うせよということに?
5-6年前の私であれば。。。
遊び=スノーボード???
モヤモヤしている時は、例え1人でも山へ向かっていたような。
雪山の上から見下ろしている自分の、あまりにもちっぽけな存在を、あらためて感じるのに、それがかえって心地よかったり。そして、そんなちっぽけな自分が、大きな雪山の端っこで、その裾野まで滑り下りるスリルと爽快さを感じられてなんとも言えないのです。
きっと雪山からすると、
またあのアリンコが脇をくすぐって歩く。ちょっとこそがゆいんだけど、まあ、あんまり楽しそうだから、仕方ない、遊ばせてやろう。
という感じでしょうか?
雪山の上で深呼吸をすると、鼻の中、果ては、頭の芯まで凍りつきそうな冷たい外気が入り込むような、そんな冬山の上ですので、ず~っとここにいたら、突然雪崩が起きたら、確実に「さようなら」だろうなあと思いながらも、何故かまた足を運んでしまっている。正に、大自然の中で遊ばせてもらっている感覚。
でも、それが全うするお仕事だったのかしら???(苦笑)
そして今は、雪山に行けない代わりに、私がワクワクするのは、家の台所に立つこと(・~・`)
自分が作った食事をおいしく食べてもらうことプラス、家族が(家族の体と自分の体が)元気でいられますように。そしてやりたいことをやれますように。といった感じでしょうか?
なぜか、これが何よりも楽しいようです。
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